エドヴァルド・ミルゾヤン 氏Edvard Mirzoyan
作曲家[アルメニア]
2012年 10月5日 死去享年92歳
エドヴァルド・ミハイロヴィッチ・ミルゾヤン(アルメニア語: Էդուարդ Միրզոյան,ロシア語: Э́двард Миха́йлович Мирзоя́н, 英語: Edvard Mikhailovich Mirzoyan, 1921年5月12日 - 2012年10月5日)は、アルメニアの作曲家。
経歴=
1921年、ソビエト連邦時代のグルジア・ソビエト社会主義共和国(現在のジョージア)ゴリに生まれるが、1924年にエレバンに移住。
エレバン音楽院で学んだ後、モスクワで学ぶ。
1947年、モスクワで弦楽四重奏曲第1番を作曲した。
1948年からエレバン音楽院で教壇に立ち、1972年から1986年まで作曲学部長を務めた。
また1957年から1991年までアルメニア作曲家連盟議長を務めた。
作曲作品と作風=
作風はセルゲイ・プロコフィエフ、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ、バルトーク・ベーラの影響を受け、その上にアルメニア民謡を取り入れたものである。
作品には交響曲、室内楽曲、歌曲、ピアノ曲、映画音楽がある。
代表作には『ティンパニと弦楽のための交響曲』(1962)、『アラム・ハチャトゥリアンの思い出に寄せる詩碑銘』(1988)、連作ピアノ曲『祖母のアルバム』(1984)などがある。
家族・親族=
父:ミハイル・ミルゾヤンも作曲家。
エドヴァルド・ミルゾヤンさんが亡くなってから、12年と47日が経ちました。(4430日)