文化元年生まれ。江戸両国の本屋文会堂の養子となり,出版事業をいとなむ。鹿都部真顔にまなび,2代燕栗園をつぐ。「教訓御代の恩」などの戯作もある。安政5年8月17日死去。55歳。武蔵国児玉郡出身。姓は久米,のち山田。通称は佐助。別号に石樹。(参照元・デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
燕栗園千寿が亡くなってから、166年と58日が経過しました。(60690日)