享保6年生まれ。臨済宗。郷里丹後の全性寺で出家し、白隠慧鶴の印可を受ける。全性寺を中興し、鎌倉の円覚寺、京都の臨川寺、鹿王院などに住した。白隠風の仏画を描いた。天明5年3月9日死去。65歳。俗姓は小島。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
霊源慧桃が亡くなってから、239年と216日が経過しました。(87511日)