工藤祐信 氏
元スピードスケート選手[日本]
2012年 4月17日 死去腎不全享年84歳
工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手。
早稲田大学卒業。
人物=
予科練から戻ってからスケートを始めた。
1948年の国民体育大会では1500mで2位となった。
岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。
男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した。
現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた。
盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている。
2012年4月17日、腎不全のために岩手県盛岡市の病院にて逝去。
84歳没。
賞詞=
岩手日報体育賞 - (1952年)
全国体育功労者表彰【文部大臣表彰】 - (1994年)
脚註=
[
工藤祐信さんが亡くなってから、12年と218日が経ちました。(4601日)