コンスタンス2世Constans II
東ローマ帝国皇帝[東ローマ帝国]
(ユリウス暦) 0668年 9月15日 死去享年39歳
コンスタンス2世“ポゴナトス”(Κώνστας Βʹ ὁ Πωγώνατος、630年11月7日 - 668年9月15日)は、東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の皇帝(在位:641年 - 668年)。
コンスタンティノス3世の子で、元の名はフラビオス・ヘラクレイオス。
のち「コンスタンティノス」。
「コンスタンス」は「小さなコンスタンティノスの意味」で、“ポゴナトス”は「髭が生えている」を意味するあだ名。
本名から「コンスタンティノス4世」と呼ぶ場合もある。
生涯=
641年、祖父・ヘラクレイオスの死により父・コンスタンティノス3世が即位したが、異母兄弟のヘラクロナス(ヘラクレイオスとその姪マルティナの子)との間に皇位をめぐっての争いの最中に父は死亡。
ヘラクロナスを擁したマルティナが権力を掌握しようとしたが、中央軍長官であったウァレンティノスを中心とするコンスタンティノス3世派と、首都市民(サーカス党派)の力によって、フラビオス・ヘラクレイオスが11歳で共同皇帝となる。
その際に祖父・父の名「ヘラクレイオス」を外して「コンスタンティノス」と名乗った。
さらに元老院などの画策によってヘラクロナスらは廃位・追放され、641年末(あるいは642年はじめ)にコンスタンスが単独の皇帝となった。
コンスタンス2世治下、650年頃の東ローマ帝国
当初は幼少のため元老院や舅のウァレンティノス(645年頃に失脚)が実権を握っていたようである。
この時期、帝国艦隊が644年頃に ……