イジー・ラシュカ 氏Jiří Raška
元スキージャンプ選手、指導者[チェコ]
(1968年、グルノーブル五輪で金メダル。)
2012年 1月20日 死去享年72歳
イジー・ラシュカ(Jiří Raška、1941年2月4日 - 2012年1月20日)はチェコ東部フレンシュタート・ポト・ラドホシュチェム(チェコ語版)出身の元スキージャンプ選手、指導者。
1960年代後半から1970年代前半にかけてチェコスロバキア代表として国際試合で活躍した。
プロフィール=
イジー・ラシュカは9歳のとき父を白血病で亡くし、彼を含む4人の兄弟は母親によって育てられた。
彼自身はウインタースポーツにはさほど関心を寄せなかったが、スキージャンパーであった叔父といとこに連れられてジャンプを始めた。
また、他のスポーツ(サッカー、ハンドボールや自転車競技など)も積極的に取り組んだ。
ラシュカは有望な若手選手として名コーチであるZdeněk Remsaの門下に入ることとなった(同コーチの教え子たちは「Remsa Boys」と呼ばれた)。
兵役のためにキャリアが中断されそうになったときにRemsaコーチは彼を陸軍スポーツクラブDukla Liberec(チェコ語版)に入れて競技を継続できるよう計らった。
1964年のインスブルックオリンピックに補欠選手として帯同しヨセフ・マトウシュ(チェコ語版)のジャンプを見ることになる。
マトウシュは70m級ジャンプで1本目に首位となり1928年サンモリッツ大会で銅メダルを獲得したルドルフ・プルケルト以来チェコ史上2人目のメダルを獲得するチャンスを得たが、2本目、3本目とも距離を伸ばせず(同大会は3飛躍2採用)、メダルを逃した。
ラシュカは4年後のグ ……
イジー・ラシュカさんが亡くなってから、12年と306日が経ちました。(4689日)