松田正平 氏(まつだしょうへい)
洋画家[日本]
2004年 5月15日 死去享年92歳
松田 正平(まつだ しょうへい、1913年1月16日 - 2004年5月15日)は、日本の洋画家。
山口県宇部市出身。
人物=
1913年、島根県鹿足郡青原村(現・津和野町)で久保田家の二男として出生するが、8歳のころに山口県宇部市の松田家の養子となる。
神原尋常小学校を経て旧制宇部中学(後の山口県立宇部高等学校)に入学。
卒業後は上京して川端画学校に通う。
2年の浪人生活を経て1932年に東京美術学校西洋画科に入学し藤島武二教室に学んだ。
1学年上に同じ山口出身の香月泰男がいた。
美校卒業してまもない1937年10月に渡欧、パリのアカデミー・コラロッシュでデッサンを学ぶ。
1939年に帰国した後、1940年第15回国画会展に出品するも落選、同年宇部市の緑屋百貨店で滞欧作展を開催する。
1942年山口師範学校(後の山口大学教育学部)美術教師となるが、1年で退職して上京、1943年国画会会友に推挙される。
戦局が深刻化したため家族とともに宇部に戻り、炭鉱に雇用され捕虜とともに坑夫として働く。
戦後は山口県光市に移り住み、高校非常勤講師をしながら瀬戸内風景を描く。
1951年に国画会会員となりフォルム画廊で第1回個展を開く(以後ほぼ毎年開催)。
1952年に上京し世田谷区用賀に住む。
この頃から福田恆存『龍を撫でた男』装丁・題字、吉田健一『日本について』『近代文学論』等、仕事の声がかかる。
1955』年から1969年まで、かつてパリ時代に同じアパートに住んだ前田陽一の ……
松田正平さんが亡くなってから、20年と190日が経ちました。(7495日)