吉田玉松 氏(よしだたままつ)
文楽人形遣い・三代目[日本]
2010年 3月18日 死去肝臓がん享年76歳
昭和8年10月17日、東京府生まれ。父は4代目吉田玉造。昭和20年叔父の千葉蝶三朗(吉田半玉)一座に入る。22年2月13歳で2代目吉田玉市に入門、吉田玉一郎と名乗り、3月四ツ橋文楽座の番付に載る。24年組合派(三和会)に参加、2代目桐竹紋十郎門下となる。25年桐竹紋弥と改名。45年2代目桐竹勘十郎の預りとなる。48年3代目吉田玉松を襲名。平成元年オビー賞を受賞。若い二枚目が似合う立ち役の人形遣いとして活躍したが、晩年は体調不良が続き、19年3月に引退した。(参照元・日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」)
吉田玉松さんが亡くなってから、14年と248日が経ちました。(5362日)