ミープ・ヒース 氏Miep Gies
アンネ・フランク一家の協力者[オーストリア→オランダ]
2010年 1月11日 死去享年100歳
![ミープ・ヒース - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c2/Miep_Gies_%281987%29.jpg/220px-Miep_Gies_%281987%29.jpg)
ミープ・ヒース(オランダ語: Miep Gies、1909年2月15日 - 2010年1月11日)は、『アンネの日記』の著者アンネ・フランクらの隠れ家での生活を支援していたオーストリア系オランダ人女性。
隠れ家がナチスに発見されて隠れ家住人が逮捕されたのち、『アンネの日記』を発見して日記を保存した。
アンネの日記上では「ミープ・ファン・サンテン」という偽名になっている。
経歴[編集]
オーストリア生まれ[編集]
オーストリア・ハンガリー帝国首都ウィーンでヘルミーネ・ザントロシェッツ(Hermine Santrouschitz)として生まれた。
幼い頃に第一次世界大戦があり、戦時中の食糧不足で栄養失調になり、病気がちだったという。
戦後オーストリアの食糧不足がより深刻となり、しかも妹が生まれたことによりザントロシェッツ家の食糧事情が一層悪くなった。
この頃のミープは飢餓で枯れ木のようにやせ細っていたという。
諸外国でオーストリアの子供たちに対する救済活動が行われ、彼女もその一環で3か月の間オランダへ送られることになった。
オランダ移住[編集]
1920年12月に両親から送りだされてウィーン駅を出発、オランダのライデンに到着した。
同地で暮らすオランダ人のニウウェンハイス夫妻に育てられることになった。
この里親は5人の子持ちで決して裕福ではなかったが、ミープに懸命に栄養を付けさせてくれたという。
彼らは「ヘルミーネ」という発音が苦手だったので代わりに「ミー ……
関連作品
-
タイトル 思い出のアンネ・フランク
種別 単行本著者 - ミープヒース
- 深町真理子
出版社 文藝春秋ページ数 発売日 新品価格 ¥800中古商品 ¥497より
ミープ・ヒースさんが亡くなってから、14年と197日が経ちました。(5311日)