芸能人・経営者のおくやみ情報

畠山重篤 氏(はたけやましげあつ)

養殖家[日本]

2025年 4月3日 死去肺血栓塞栓症享年83歳

畠山重篤 - ウィキペディアより引用

畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。
「牡蠣の森を慕う会(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)」代表。
経歴= 中国・上海に生まれ。
父親は会社員だったが、第二次世界大戦終戦後、故郷の舞根(もうね)(宮城県唐桑町)へ戻り牡蠣養殖を始めた。
周辺に子供が少なく、重篤は海川でハゼ釣りや小エビ捕り、山でキジを追う少年時代を送った。
宮城県気仙沼水産高等学校卒業後、家業である牡蠣養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて宮城県では初めて帆立の養殖に成功した。
日本は高度経済成長期を迎えていた1964年頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて赤潮が発生するようになり、それに染まって売り物にならない「血ガキ」廃棄を余儀なくされ、廃業する漁師が続出するようになった。
子供の頃に山も歩き回った畠山は、陸にも原因があると感じていた。
確信に変わったのは、1984年のフランス訪問。
磯に魚介類が豊富で、河口の街で稚ウナギ料理が出されたのを見てロワール川を遡ると広葉樹林があったのを目の当たりにした。
当時、気仙沼湾に注ぐ大川には水産加工場の排水が流れ込み、上流部では安い輸入木材に押されて針葉樹林が放置されて保水力が落ち、大雨で表土が流されていた。
畠山が上流での森づくりを呼び掛けると漁師 ……

畠山重篤さんが亡くなってから、5日が経ちました。