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岩澤重夫 氏(いわさわしげお)

日本画家[日本]

2009年 11月7日 死去肺炎享年83歳

岩澤重夫 - ウィキペディアより引用

岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年11月25日 - 2009年11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。
経歴= 大分県日田市出身。
京都府京都市に在住していた。
大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。
揺籃期= 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。
幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。
晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。
14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。
終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
中でも鹿児島県の万世飛行場という特攻基地に配属されたことが、その後の人生を大きく左右することとなる。
ここで岩澤重夫は、教官助手を務め、偶然にも戦闘機のマニュアルを手書きで制作する係を務めることとなった。
「絵が得意だったので終戦まで自分には、特攻命令が出なかった。
沖縄の海に消えていった友人のために、自分は絵を描くことを神様に命じられたのだ」と後に伝記本に記している。
終戦後は、穀物販売業を営む父親の反対を押し切って1947年に京都市立美術専門学校に入学。
在学中の1951年に「芥子」が日展に初入選を果たす。
卒業後は、京都の石像寺(釘抜地蔵)に住み込みの管理人として仕事をしながら作家活動を始める。

岩澤重夫さんが亡くなってから、15年と14日が経ちました。(5493日)

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