永田竹丸 氏(ながたたけまる)
漫画家[日本]
2022年 10月19日 死去享年89歳
永田 竹丸(ながた たけまる、本名・ ながた みよまる、男性、1934年(昭和9年)5月11日 - 2022年10月19日)は、日本の漫画家。
多くの漫画家を住んだトキワ荘(東京都豊島区)に新宿区の実家から通って他の漫画家と合作・交流した「通い組」の一人で、練馬区にも仕事場を構えていた。
東京府(現在の東京都)出身。
武蔵野美術大学中退。
義父は漫画家の芳賀まさお。
人物=
中学一年生の時から『漫画少年』の常連投稿者で、森安なおやに誘われる形で田河水泡に師事する。
その後『新漫画党』にも参加した。
端正な画風とほのぼのとしたストーリーで、1950年代を中心に人気漫画家となった。
当時、漫画で初めてスクリーントーンを導入した人物としても知られ、その後は漫画家仲間の間であっという間に浸透したという。
1960年、『ピックルくん』で第1回講談社児童まんが賞を受賞した。
1960年代中盤は、日本基督教団の冊子に、代表作となった『おにいちゃん』を長期にわたり連載する。
この時期にはTCJ(現・エイケン)やピー・プロダクションに在籍していたこともある。
1968年から約5年間は藤子スタジオに勤務し、藤子不二雄のチーフアシスタントを務めながら細々と自作の幼年向け漫画を執筆していた。
山根青鬼、山根赤鬼とともに田河水泡の『のらくろ』の漫画執筆権を譲り受けた正統継承者である。
2022年10月19日、老衰のため、死去。
88歳没。
弟子のむかいさすけに頼 ……
永田竹丸さんが亡くなってから、2年と33日が経ちました。(764日)