マックス・ランデーMax Linder
俳優、映画監督、プロデューサー[フランス]
1925年 11月1日 死去服毒自殺享年43歳
マックス・ランデー(Max Linder, 1883年12月16日 - 1925年10月31日)は、フランスの俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。
チャールズ・チャップリン登場前のサイレント映画初期の喜劇王である。
日本では、マックス・ランデ、マックス・ランデール等とも表記された。
人物・来歴=
1883年(明治16年)12月16日、ジロンド県サン=ルーベに生まれる。
1905年(明治38年)、パテ・フレール(パテ)が製作し、ルイ・ガスニエが監督した短篇コメディ La première sortie d'un collégien に主演したのが、もっとも古い出演記録である。
1908年(明治41年)には主演作の短篇コメディ L'obsession de l'équilibre を演出し、映画監督としてもデビュー、以降、多く自作自演している。
1917年(大正6年)にはアメリカ合衆国に渡り、エッサネイ・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー(エッサネイ・スタジオ)で、短篇コメディ『マックスの渡米』を監督、主演者としてマーサ・マンスフィールドらと共演する。
同年、エッサネイで、マーサ・マンスフィールドを相手役に『マックスの離婚』、『マックスの運転手』を発表する。
1921年(大正10年)、アメリカでマックス・ランデー・プロダクションズを立ち上げ、長篇コメディ『ライオンと征服将軍』、『女房欲しさに』、翌1922年(大正11年)には『三笑士』を製作、いずれも監督・主演している。
1923年(大正12年)8月2日、ジーン・ピーターズと結婚、翌1924 ……
マックス・ランデーが亡くなってから、99年と20日が経過しました。(36180日)