立石信雄 氏(たていしのぶお)
実業家、オムロン元会長[日本]
2022年 4月12日 死去腎不全享年87歳
立石 信雄(たていし のぶお、1936年6月6日 - 2022年4月12日)は、日本の実業家。
オムロンの会長などを務めた。
経歴=
誕生から大学時代=
1936年、立石電機(現・オムロン)創業者の立石一真の二男として大阪市に生まれる。
第二次世界大戦中の小学校時代には山でマムシや食用ガエルを捕まえるなど、活発な少年だった。
1945年6月の大阪大空襲で立石電機の工場が焼けたため、会社とともに京都市に転居した。
この頃に姉に連れられて日曜学校に行き、聖歌隊に入った事がきっかけで英語に興味を持ったという。
市立中学に入ったものの、自身の希望で英語教育が充実していた同志社中学校の編入試験を受け、中学1年の2学期から同校に編入した。
英語への関心は根強く、同志社高校を経て、1955年に同志社大学文学部英文科に進学した。
大学時代は太秦警察署の少年補導委員会の学生部に入り、小中学生の林間学校の引率や、母子寮の子供たちの学習指導などを行った。
また、高校まで聖歌隊を続けていた事もあって混声合唱団でセカンドテナーを担当することもあったという。
立石電機販売入社後=
教育実習にも参加するなど教員への興味もあったが、1959年に大学を卒業すると家業を支えようと立石電機販売に入社した。
入社後は東京支店の貿易課に配属され、輸出を担当する商社との交渉などに従事した。
その一方で経営を理解するため、産業能率短期大学の夜間部に通って経営学を学んでい ……
立石信雄さんが亡くなってから、2年と223日が経ちました。(954日)