望月幸明 氏(もちづきこうめい)
元山梨県知事[日本]
2020年 8月8日 死去老衰享年97歳
望月 幸明(もちづき こうめい、1924年5月25日 - 2020年8月8日)は、日本の政治家。
山梨県公選第4代知事。
位階勲等は正四位旭日重光章。
来歴・人物=
出生から県副知事時代まで=
山梨県南巨摩郡中富町(現在の身延町)出身。
旧制身延中学(現在の山梨県立身延高等学校)卒業。
松本高等学校文科乙類(現在の信州大学人文学部)を経て東京大学法学部卒業。
日本発送電株式会社勤務を経て山梨県庁に入り、天野久知事時代に県人事委員会総務課長を務める。
県教育長、県総務部長などを歴任し、天野知事が5期目で田邊圀男に敗退した後も県政への働きを評価され、1977年(昭和52年)3月に山梨県副知事となる。
自民党所属の金丸信は天野前知事支持であったが、金丸が中央政界で地位を上げていくと県議会においても金丸派が最大与党となっており、1979年(昭和54年)の田邊知事4期目をかけた山梨県知事選挙において、野党社会党県本部は田邊知事の4選を阻止するために保革連合で社会党寄りとされていた望月を擁立する。
望月は3選の限度を公約に田邊を1万2000票差で破り当選し、山梨県知事となる。
以後3期12年務める。
金丸信の中巨摩郡後援会長及び望月幸明の甲西町支部長を県政功績者 浅川茂晴(金丸信の親戚、山梨県会議員に出馬したが次点だった)が務めた。
県知事時代=
田邊県政末期には日本経済が安定成長期に入っており、さらに天野県政期以来の懸案であった北富士演習場問題 ……
望月幸明さんが亡くなってから、4年と105日が経ちました。(1566日)