ロブ・レンセンブリンク 氏Rob Rensenbrink
元男子サッカー選手[オランダ]
(オランダが「トータルフットボール」で旋風を起こした、W杯1974年西ドイツ大会・1978年アルゼンチン大会時のオランダ代表メンバー。)
2020年 1月24日 死去享年74歳
ピーテル・ロベルト・レンセンブリンク(Pieter Robert Rensenbrink, 1947年7月3日 - 2020年1月24日)は、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手。
現役時代のポジションはフォワード(左ウイング、センターフォワード)、ミッドフィルダー(左サイドハーフ、攻撃的MF)。
アンデルレヒト時代のチームメイトで元オランダ代表の選手であるヤン・ムルダーはレンセンブリンクについて、「クライフと同じくらい良い選手だった。
そう思っていないのは彼だけだよ。
」と話している。
経歴=
主にベルギーのクラブでプレーするなどオランダ国内では無名の存在で(オランダのフットボール界でレンセンブリンクが無名だった訳では無く、「フェイエノールトはリヌス・イスラエルに続いて自分もDWSから獲得しようとしていたが、クーン・ムーラインがすでにブレイクしていたこと、DWSの求めた45万グルデンがフェイエノールトには高すぎた」と本人が後年語っている)、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会ではオランダ代表に選出されたが、開幕前はピート・カイザーら層の厚いFW陣の中で控え選手であった。
しかし1次リーグ第3戦のブルガリア戦以降はレギュラーの座を掴み、2次リーグの東ドイツ戦では1得点を決めた。
1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会では左サイドからプレーすることが多かったヨハン・クライフが参加を辞退した事もあり、より自分の本職のポジションでプレーすることが ……
ロブ・レンセンブリンクさんが亡くなってから、4年と302日が経ちました。(1763日)