バスビー・バークレーBusby Berkeley
振付師、映画監督[アメリカ]
1976年 3月14日 死去享年82歳
バスビー・バークレー(Busby Berkeley、1895年11月29日 - 1976年3月14日)は、アメリカ合衆国のミュージカル・コレオグラファー、映画監督である。
幾何学模様の複合的なパターンの複雑なミュージカル演出を考案した。
大勢のショーガールを多用し、映像の中で万華鏡のようなファンタジックな世界を作り出した。
人物・来歴=
1895年(明治28年)11月29日、アメリカ合衆国、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。
1900年(明治33年)、演劇一家の家族の劇団で、5歳で初舞台を踏む。
第一次世界大戦では、野戦砲隊の中尉として従軍した。
1920年代にはブロードウェイで舞踊監督として20本以上の舞台で活躍し、1925年(大正14年)には『ホルカ・ポルカ』のコレオグラファーとしてクレジットされている。
ロイド・ベーコン監督作『フットライト・パレード』(1933年)
1930年(昭和5年)、映画界に進出、サミュエル・ゴールドウィン・スタジオで製作されたソーントン・フリーランド監督のミュージカル・コメディ映画『ウーピー』の舞踊演出をする。
1933年(昭和8年)には、ジョージ・エイミーとの共同監督作『シー・ハド・トゥ・セイ・イエス』で映画監督としてデビューした。
1936年(昭和11年)から3年連続で、アカデミー賞のダンス監督賞を受賞している。
1954年(昭和29年)のマーヴィン・ルロイ監督の『ローズ・マリー』を振付演出した以降は、ブロードウェイに戻り、もともとの舞台の演出に ……
バスビー・バークレーが亡くなってから、48年と252日が経過しました。(17784日)