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捧賢一 氏(ささげけんいち)

ホームセンター「コメリ」創業者[日本]

2018年 5月8日 死去肺炎享年86歳

捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 2018年5月8日)は、日本の実業家。
株式会社コメリの創業者、名誉会長ファウンダー。
略歴= 1933年 - 新潟県三条市に生まれる。
新潟県立加茂農林高等学校卒業後、実家の米穀店に就職。
1952年 - 米利商店を創業するも、うたごえ運動などの社会運動に献身。
1976年 - アメリカへ赴きホームセンターを視察。
米穀店から燃料販売へ転向し、オイルショックに喘いでいた会社の業態転換を決意。
1979年 - 株式会社コメリの代表取締役社長に就任。
2003年 - 同社代表取締役会長に就任。
2014年 - 同社取締役会長に就任。
2015年 - 同社取締役を退任。
名誉会長ファウンダーに就任。
2018年 - 肺炎のため入院先の病院で死去。
84歳没。
人物= 商売に気乗りしなかった二十代にはうたごえ運動などに参加。
仕事よりも社会運動に精を出していたため、家族には心配されたと言う。
雑誌「商業界」の主幹である倉本長治の「真心を持って人々に奉仕する」との考えを知り、二十代後半に商売人として目覚める。
この考えは「人々の幸せのために仕事をする」との社訓「コメリの願い」にも生かされている。
緑川玄三に「社長ならまともな文も書けるように」と忠告され、越後文学会に入る。
その影響で、榊鶏司の名前で写真と文章を社内報に執筆するようになる。
2004年には、社内報の内容を二冊の本(『店のある街の風景』と『残映-心にのこる出会い- ……

捧賢一さんが亡くなってから、6年と197日が経ちました。(2389日)

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