榎本敏夫 氏(えのもととしお)
田中角栄元首相秘書[日本]
2017年 7月2日 死去老衰享年92歳
榎本 敏夫(えのもと としお、1926年3月24日 - 2017年7月2日)は、政治家秘書。
田中角栄の秘書として知られている。
タレントの榎本三恵子は元妻。
北区議会議員の榎本 一(えのもと はじめ)は長男。
概要=
東京府東京市北区の質屋の息子として生まれる。
大正大学文学部哲学科卒後に民主自由党(後の自由民主党)の職員になる。
1955年5月から1962年7月まで東京都の北区区議会議員を務めた。
1956年に日本電建に総務部長として入社し、1965年に田中角栄衆議院議員の秘書となった。
1971年から1972年まで通商産業大臣秘書官、1974年から1976年まで内閣総理大臣秘書官であった。
1976年に発覚したロッキード事件において、田中角栄首相の秘書(首相秘書官)としてロッキード社の代理人であった丸紅から5億円を受け取ったとして同年7月に外国為替法違反で逮捕され、同年8月に起訴された(田中角栄は外国為替法違反だけでなく受託収賄罪でも起訴された)。
起訴状では榎本は5億円を1973年8月10日、同年10月12日、1974年1月21日、同年3月1日の4回に分けて丸紅から受け取ったとされており、田中角栄の無罪を主張する田中派の国会議員らは「榎本アリバイ」を主張して法廷で証言したが、裁判所は「榎本アリバイ」は立証されていないとして、榎本は田中の使者として5億円を受け取ったと認定され、1983年10月12日に東京地裁は懲役1年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
1995年2月22日に最高裁で有罪判決が確定 ……
榎本敏夫さんが亡くなってから、7年と142日が経ちました。(2699日)