西三雄 氏(にしみつお)
元プロ野球選手[日本]
2017年 4月5日 死去享年80歳
西 三雄(にし みつお、1938年9月19日 - 2017年4月5日)は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。
元プロ野球選手の西五十六は実兄、西俊児は甥。
経歴=
実家はみかん園で、三人兄弟の末っ子として生まれる。
大成高校卒業後の1957年に丸善石油へ入社し、業務課資材係で勤務する傍ら、兄の五十六と共に主戦投手として活躍。
入社1年目から4年連続で都市対抗に出場し、1957年の大会は2回戦の日鉄二瀬戦で初勝利を挙げる。
2年目の1958年には肋間神経痛で不調に終わったが、3年目の1959年には四国予選準決勝の東レ愛媛戦でノーヒットノーランを達成し、本大会ではエースとして3勝を挙げ、チームの初優勝に貢献したと共に橋戸賞を獲得。
都市対抗以外では1年目の秋に行われた産別対抗で優勝投手となったほか、4年目の1960年には社会人全日本チームに選出されて米国遠征に参加。
大毎・大洋・広島・近鉄・阪急の5球団が目を付けていたが、1962年の大会で日本生命との準決勝に敗れた後、大毎オリオンズへ入団。
大会から僅か3週間後の8月25日に西鉄戦(東京)で一軍初登板を果たすと、10月1日の東映戦(東京)でプロ初勝利を挙げる。
終盤に2勝を挙げ、2年目の1963年には先発・リリーフと投げまくり、6月27日の近鉄戦(日生)では初完投・完封勝利を記録。
同年には自己最多の47試合に登板して2完封を含む6勝を挙げたが、1964年から1965年にかけてはビハインドリリーフが与えられる役割 ……
西三雄さんが亡くなってから、7年と230日が経ちました。(2787日)