和田共弘 氏(わだともひろ)
競走馬オーナー[日本]
1994年 4月29日 死去享年73歳
和田 共弘(わだともひろ、1922年8月1日 - 1994年4月29日)は、20世紀後半の日本の競走馬生産者、馬主。
シンボリ牧場元代表。
シンボリ牧場前代表の和田孝弘は息子。
経歴・人物=
シンボリ牧場代表としてスピードシンボリ、シンボリルドルフ、シリウスシンボリといった名馬を生産した人物で、社台グループの総帥吉田善哉やメジロ軍団の棟梁北野豊吉・ミヤ夫妻らと共に、1960年代から1980年代における日本の競馬を代表するオーナーブリーダーの一人である。
1953年、外国からの馬輸入再開が許可されると真っ先に欧米へ向かうなど、若い頃から行動派の生産者として名高く、生産者の立場からサラブレッドの血統配合理論を追究した者としても昭和競馬期を代表する存在である。
その一例としてパーソロンを輸入しており、同馬はリーディングサイアーに2度輝き名種牡馬となった。
シンボリルドルフはパーソロンを父に、スピードシンボリを母の父に持つ、和田の生産者としての集大成ともいうべき競走馬であった。
競走馬の生産・育成・管理においてもさまざまな新手法を試みた事で知られる。
フェデリコ・テシオの二元育成にならい、成長に応じて3箇所の育成拠点で競走馬を管理する三元育成を実施し、現代競馬では常識となっている短期放牧(放牧を参照)の手法を日本で初めて取り入れた。
また、海外競馬への思い入れが強く、海外遠征がほとんど行われなかった時代に所有する一流馬を次々 ……
和田共弘さんが亡くなってから、30年と206日が経ちました。(11164日)