羽黒岩智一 氏(はぐろいわともかず)
元相撲力士[日本]
2016年 10月23日 死去腎不全享年71歳
羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - 2016年10月23日)は、宮崎県延岡市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。
本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。
最高位は東小結(1973年5月場所)。
引退後は年寄・雷として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍していた。
身長179cm、体重133kg。
得意手は右四つ、寄り、押し。
本名の戸田を四股名としていた時期も長く、その当時に横綱・大鵬の連勝を45で止める金星を挙げているが、後に「誤審」であると大きな話題となった、このこともあって戸田 智次郎の名でも知られる。
来歴・人物=
中学校在学中に立浪部屋へ入門し、1961年(昭和36年)5月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。
同期生には後の関脇・藤ノ川、前頭・栃富士、同・若ノ海などがいた。
1965年(昭和40年)11月場所にて、19歳で十両昇進。
1967年(昭和42年)1月場所に於いて20歳で入幕し、若手として期待された。
突き押しや、右を差して寄る相撲を得意としていた。
ちなみに、宮崎県出身の幕内力士は、1843年(天保14年)11月場所に於いての三ツ鱗龍八以来124年ぶりのことだった。
はじめのころは幕内下位にいたが、1969年(昭和44年)1月場所では前頭7枚目で11勝4敗と大勝ちし、敢闘賞を受賞(結果的に、これが最初で最後の三賞受賞となった)。
翌3月場所では前頭筆頭に躍進し、初めて上位陣と当たるこの場所に於いて横綱・大鵬幸喜の46連勝を阻止する ……
羽黒岩智一さんが亡くなってから、8年と29日が経ちました。(2951日)