トーマス・ラッフルズThomas Stamford Raffles
シンガポール建設者、博物学者[イギリス]
1826年 7月5日 死去享年46歳
トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(Sir Thomas Stamford Bingley Raffles、1781年7月6日 - 1826年7月5日)は、イギリスの植民地行政官、シンガポールの創設者である。
略歴=
父はベンジャミン・ラッフルズ、母はアン・リデ。
1781年、父が商船アン号のなか、ジャマイカ沖で産まれた。
2番目の妻ソフィアとの間に5人の子供を授かった。
1795年、14歳よりロンドンの東インド会社で職員として働き始め、1805年、当時プリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていたマレー半島のペナン島に赴任し、マレー語を習得する。
1811年、ナポレオン戦争当時フランスの勢力下にあったジャワ島へイギリス領インド(イギリス東インド会社)から派遣された遠征軍に参加し、ジャワ副総督(副知事、英: Lieutenant-governor)に任命され、統治に当る。
なおlieutenant-governorは準知事であり、副総督と訳すのは誤訳とする説もある。
このとき、ジャワ島の密林に眠るボロブドゥール遺跡を再発見する。
1816年にジャワ島がオランダに返還され、イギリスに帰国。
この間、1817年に『ジャワ誌』(“The History of Java”)を刊行し、同年ナイトの称号を授与された。
『ジャワ誌』以降、「トーマス」という名の使用をやめ、ミドル・ネームである「スタンフォード」を好むようになる。
1818年、スマトラにあったイギリス東インド会社の植民地ベンクレーン(ブンクル)にベンクレーン副総督(準知事)(英: Lieutenant-governor of Bencoolen)と ……
トーマス・ラッフルズが亡くなってから、198年と138日が経過しました。(72458日)