カレル・アンチェルKarel Ančerl
指揮者[チェコスロバキア→カナダ]
1973年 7月3日 死去享年66歳
カレル・アンチェル (チェコ語: Karel Ančerl チェコ語発音: [ˈkarɛl ˈanʧɛrl], 1908年4月11日 - 1973年7月3日) は、チェコの指揮者、ホロコースト生還者である。
経歴=
南ボヘミア地方のトゥカピの裕福なユダヤ人一家に生まれた。
父親は酒造業を営んでいた。
1924年にプラハのギムナジウムを卒業。
1925年から4年間にわたってプラハ音楽院でアロイス・ハーバに作曲を、ターリヒに指揮を学んだ。
1929年に自作の演奏のため初めてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する。
1930年のミュンヘン現代音楽祭で初演された師ハーバの歌劇「母」の初演を指揮したヘルマン・シェルヘンのアシスタントを務めた事がきっかけとなり、ストラスブールの彼の指揮クラスで指導を受ける。
またプラハでターリヒの指導も受け続け、本格的な指揮活動の一歩を踏み出す。
1933年にはプラハ交響楽団の音楽監督に就任。
1939年にチェコがナチス・ドイツの支配下に入ると、ユダヤ系だったアンチェルはプラハ響を追われる。
1942年11月12日、家族全員とともにテレジーンの強制収容所に送られる。
彼はゲットーにおいてテレジーン弦楽合奏団を率い、音楽活動を行った。
ナチのプロパガンダ映画『Der Führer schenkt den Juden eine Stadt』(未公開)に出演。
撮影が終わると、映画に関わったゲットーの音楽家たちは残らず家畜運搬車に詰め込まれ、1944年10月15日にアウシュビッツへ移送された。
妻のヴァリーと息子のヤ ……
カレル・アンチェルが亡くなってから、51年と97日が経過しました。(18725日)