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津田恒美 氏(つだつねみ)

プロ野球選手[日本]

1993年 7月20日 死去脳腫瘍享年34歳

『津田恒実』より : 津田 恒実(つだ つねみ、1960年8月1日 - 1993年7月20日)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。
愛称は「ツネゴン」。
旧名「恒美」(読み同じ)。
来歴・人物 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)の山間部・和田地区出身。
南陽工高では、1年時からエース投手として活躍していた。
1978年の第50回選抜高等学校野球大会に出場、準々決勝に進むが福井商に敗退。
同年の第60回全国高等学校野球選手権大会では2回戦まで駒を進めるが天理高に0-1で惜敗。
卒業後は防府市に本拠を置いていた社会人野球の協和発酵(現:協和発酵キリン)に入社。
1981年の都市対抗に電電中国の補強選手として出場。
1回戦で優勝候補の富士重工業を抑え注目を浴びる。
しかし2回戦ではリッカーの中西清起と投げ合い敗退した。
同年の日本選手権では、協和発酵のエースとして2勝をあげ準々決勝に進出するが、この大会に優勝した富士重工業の向田佳元との投手戦の末に惜敗。
都市対抗の仇を討たれた形になった。
同年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団。
入団当初から古葉竹識監督も大きな期待を寄せていた。

80年代のプロ野球、広島東洋カープの選手。本名「津田恒美」。1985年より、現在の「津田恒実」に登録名を変更した。 通称「炎のストッパー」、愛称「ツネゴン」 右投右打、ポジションは投手。背番号は15→14番。 1960年8月1日生まれ、1993年7月20日没(享年32歳)、山口県出身 南陽工業高校で1976年センバツに出場。 卒業後、協和発酵に進む。 1982年、ドラフト1位で広島東洋カープに入団。1年目より一軍で登板し、先発投手として11勝を挙げ、新人王に輝く。 1985年、「恒実」に登録名を変更。クローザーに転向し活躍、躍動感あふれる投球スタイルから「炎のストッパー」と呼ばれていた。 1986年、日本シリーズ第8戦で打たれ、日本一を逃すもMVPに輝く。 1989年、最優秀救援投手に輝く。絶対的なクローザーとして1980年代カープの投手陣を支えた。また、原辰徳やランディ・バースとの名勝負は今も語り草となっている。 1990年、頭痛などの体調不良を訴える 1991年4月14日、読売ジャイアンツ戦に最後の登板と引退。直後に入院し、脳腫瘍の診断を受ける 1993年7月20日、死去(享年32歳) 2012年1月、野球殿堂表彰者に選ばれる no title 広島市民球場には功績を称え、プレートが飾られている。 また、母校には顕彰碑が建てられた。 座右の銘であった「弱気は最大の敵」という言葉に励まされた日本人は数多いことだろう。 (引用元 Hatena Keyword)