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御木本幸吉(みきもとこうきち)

御木本真珠店(現・ミキモト)創業者[日本]

1954年 9月21日 死去老衰享年97歳

御木本幸吉 - ウィキペディアより引用

御木本 幸吉(みきもと こうきち、1858年3月10日(安政5年1月25日) - 1954年(昭和29年)9月21日)は、日本の実業家。
真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。
御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。
ミキモト・パール、真珠王とも呼ばれた。
生涯= 誕生= 御木本幸吉生誕地 志摩国答志郡鳥羽城下の大里町(現在の三重県鳥羽市鳥羽一丁目)で代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれた。
父は音吉、母はもと。
幼名は吉松と名付けられた。
父は商売よりも機械類の発明・改良に関心があり、1881年(明治14年)には粉挽き臼の改良により三重県勧業課の表彰を受け賞金100円を授与されている。
祖父・吉蔵は「うしろに目があるような人」と言われたように、先が見え商才に恵まれていた。
大伝馬船を10艘も持ち石材の運送で儲ける一方、家業のうどん屋のほか薪、炭、青物などの販売を手広く営み財をなしたと伝えられる。
幸吉は晩年、「三つ子の魂は祖父に育てられた」と述懐している。
正規の教育は受けていないが、明治維新によって失業した士族の栗原勇蔵、岩佐孝四郎らに読み書きソロバン、読書などを習った。
商才と向上心と社交性= 早くから1杯8厘のうどんでは身代を築くのは無理と分かっていたようで、14歳で家業の傍ら青物の行商を始める。
大きな目標を掲げる事で自分自身に課題を与え自らを鼓舞するところがあり、時として大法螺吹きとい ……

御木本幸吉が亡くなってから、70年と64日が経過しました。(25632日)