芸能人・経営者のおくやみ情報

菅原文太 氏(すがわらぶんた)

俳優[日本]

2014年 11月28日 死去肝不全享年82歳

菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者である。
宮城県仙台市出身。
愛称は文ちゃん・文太兄い。
代表作は映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。
どちらも日本映画史に残る配給収入を上げた。
父は洋画家、詩人の狭間二郎(元新聞記者)。
妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。
他に娘が2人いる。
生涯 生い立ち 1931年(昭和6年)より河北新報社(仙台市)の記者をしていた父親の菅原芳助(洋画家・詩人:狭間二郎)のもと、1933年(昭和8年)8月16日に宮城県仙台市に生まれた。
4歳から小学校4年までは東京府(現・東京都)育ち。
1943年(昭和18年)に父親が出征すると、父親の実家がある宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市)に疎開し、(旧制)宮城県築館中学校卒業まで同地で過ごした。

元俳優、声優。1933年8月16日生まれ、宮城県仙台市出身。身長180センチ。早稲田大学第二法学部に進学後、劇団四季の1期生として入団。57年には岡田眞澄ら8名で日本初の男性モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立し、ファッション・モデルとして活動したが、58年、映画会社「新東宝株式会社」に入社、同年「白線秘密地帯」で本格映画デビューを果たす。61年に新東宝が倒産し、松竹株式会社を経て67年、東映株式会社に移籍した。73年、「仁義なき戦い」(監督:深作欣二)に出演、その後76年まで同シリーズ全8作に出演し、日本映画史に残る興行収入をあげた。75~79年の「トラック野郎」シリーズも大ヒットし、日本を代表する俳優の1人となる。その後もテレビドラマやCMなどに出演し多彩な芸能活動を続けていたが、2009年より農業を始め、俳優業はセーブするようになった。12年11月13日、顧問を務めるNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の講演会席上にて、俳優業より引退し、政治支援グループ「いのちの党」を結成することを発表した。同党は政党ではない。 (2012-11-16) 菅原文太 日本の俳優、声優。1933年8月16日、宮城県仙台市生まれ。56年に「哀愁の街に霧が降る」で映画デビュー。57年、岡田眞澄らと日本初の男性モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立。58年、新東宝株式会社に入社し多くの映画に出演した。61年に同社が倒産し、松竹株式会社を経て、67年、東映株式会社に入社。73年からの「仁義なき戦い」シリーズ(深作欣二監督)、及び75年からの「トラック野郎」シリーズで主演を務め、日本を代表する俳優の一人となる。以降 …… (引用元 コトバンク)