大瀧詠一 氏(おおたきえいいち)
ミュージシャン、元「はっぴいえんど」メンバー[日本]
2013年 12月30日 死去解離性動脈瘤享年66歳
大瀧 詠一、大滝 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年〈昭和23年〉7月28日 - 2013年〈平成25年〉12月30日)は、日本のミュージシャン。
シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、レコードレーベルのオーナー、ラジオDJ、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、著述家、元Oo Records取締役など、多くの顔を持つ。
生涯=
生い立ちと学生時代=
岩手県江刺郡梁川村(のちの江刺市、現在の奥州市)生まれ。
母子家庭で育ち、母親が公立学校の教師だったため、小学校・中学校でそれぞれ転校を経験している(小学生の頃には江刺から遠野。
中学生時代には遠野から釜石)。
小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「カラーに口紅」(Lipstick On Your Collar) に衝撃を受けて以降、アメリカンポップスに傾倒。
中学入学後ラジオクラブに入り、ラジオを自作し、米軍極東放送 (FEN) やニッポン放送の番組を聴くようになる。
間もなくレコード収集を始め、エルヴィス・プレスリーやビーチ・ボーイズなどの音楽を分析的に聴くようになり、独自の研究を深める。
そのため、1962年夏から1966年までにチャートインした曲はすべて覚えているというほど精通している。
同時期には小林旭や三橋美智也なども好んで聞いていた。
特にクレージーキャッツの植木等が歌う「スーダラ節」には非常に影響を受けたとされる。
1964年、岩手県立花巻北高 ……
大瀧詠一さんが亡くなってから、10年と329日が経ちました。(3982日)