汪兆銘Wang Jingwei
政治家[中国]
1944年 11月10日 死去享年62歳
汪 兆銘(おう ちょうめい、ワン・ジャオミン、1883年5月4日〈光緒9年3月28日〉 - 1944年〈民国33年〉11月10日)は、中華民国の政治家。
行政院長(第4代)・中国国民党副総裁。
辛亥革命の父、孫文の側近として活躍して党の要職を占めた。
字は季新。
号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)。
広東省広州府三水県(現:仏山市三水区)の生まれ。
原籍は浙江省紹興府山陰県。
知日派として知られ、1940年3月、南京に日本の傀儡政権である汪兆銘政権を樹立し、同年11月には正式に主席となった。
1944年、名古屋にて病死。
遺体は南京の梅花山(中国語版)に埋葬されたが、戦後に蔣介石政権によって爆破された。
著作に『汪精衛文存』などがある。
生涯=
生い立ち=
汪兆銘は、1883年(光緒9年)、汪琡(号は省斎)の四男、10人兄弟の末子として広東省広州府三水県に生まれた。
没落した読書人の家庭に育った彼は、幼少時より俊秀さを謳われた人物である。
曾祖父の汪炌(1756年-1832年)および祖父の汪雲(1786年-1844年)はともに浙江省紹興府山陰県に本籍があり、同地に墳墓もあって、官途に就いていた。
汪兆銘の父の汪琡(1824年-1897年)は一族の一人が広東省で知県をしていたところから、それを頼って広東に移住してきた人物であった。
父は同郷の盧夫人とのあいだに一男三女、広東出身の呉夫人とのあいだに三男三女をもうけた。
浙江生まれの父は広東語を聴 ……
汪兆銘が亡くなってから、80年と17日が経過しました。(29237日)