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ダニエル・イノウエ 氏Daniel Ken Inouye

政治家[アメリカ]

2012年 12月17日 死去呼吸器合併症享年89歳

ダニエル・イノウエ - ウィキペディアより引用

ダニエル・ケン・イノウエ(Daniel Ken Inouye、日本名:井上 建〈いのうえ けん〉、1924年9月7日 - 2012年12月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、軍人。
元アメリカ陸軍将校、アメリカ合衆国上院議員、アメリカ合衆国上院仮議長。
1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人であった。
2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、またこれに伴い慣例に沿うかたちで上院仮議長に選出、亡くなるまで同職にあった。
上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としてはカマラ・ハリスの副大統領(第1位)に次ぐ上位のものである。
また第二次世界大戦時はアメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。
アメリカ陸軍での最終階級は陸軍大尉。
イノウエは、ハワイ州共和党員ハイラム・フォンに次いで2人目のアジア系アメリカ人上院議員となった。
日系アメリカ人として初めて米国下院議員を務め、また日系アメリカ人として初めて米国上院議員を務めた。
また、年功序列のため、 2010年6月29日のロバート・バード氏の死去を受けて上院仮議長に就任し、大統領継承順位では副大統領、下院議長に次ぐ第3位となった。
亡くなった時点で、イノウエは現職米国上院議員としては最高齢であり、現職上院議員と ……

【ワシントン時事】米上院の最古参議員で、政権与党民主党の重鎮である日系のダニエル・イノウエ氏が17日夕、呼吸器合併症のため入院先のメリーランド州の病院で死去した。88歳だった。同氏の事務所が明らかにした。議会きっての親日派として日米関係を支えてきた経緯があり、両国間の大きなパイプが失われた。 ハワイ州ホノルルで1924年、福岡県八女地方から移住した両親の間に生まれた。ジョージ・ワシントン大法科大学院修了。ハワイが州に昇格した59年、連邦下院選に初当選し、日系初の連邦議会議員に就任。62年に上院にくら替えし、これまで連続9回当選した。 2009年、政府の予算承認権を握る歳出委員会の委員長に就任。翌年には、大統領が死亡などで欠けた場合の継承順位で副大統領(上院議長兼務)、下院議長に次ぐ3位に当たる「上院議長代行」となった。 日米間の貿易摩擦が問題となった80年代は対日批判の急先鋒(せんぽう)だったものの、日本に理解を示す姿勢に徐々に変化。沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題などをめぐり日米関係がぎくしゃくしたこの数年は日本側に肩入れする発言を続け、政権の方針に影響を与えた。 米議会では知日派のウェッブ上院議員も来年1月に引退するため、議会側との関係強化が日本の急務となる。  イノウエ氏は第2次大戦中、日系2世の兵士で構成した陸軍第442連隊に加わり、欧州での戦闘で右腕を失った。退役時は大尉。大戦中の勲功により米軍人最高の「名誉勲章」や文民最高の「議会勲章」を授与された。 日本からは11年、日米関係の強化に努めた功績を理由に桐花大綬章を受章した。民間交流団体「米日評議会」の会長を務める妻のアイリーンさんは、東日本大震災を機に始まった若者交流プログラム「トモダチ・イニシアチブ」の中核を担っている。 イノウエ氏は92歳で改選期を迎える16年に10選を目指して出馬する意向だったが、12月8日に体調を崩して入院していた。

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