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三宅久之 氏(みやけひさゆき)

政治評論家[日本]

2012年 11月15日 死去病気享年83歳

三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉11月15日)は、日本の政治評論家、コメンテーター。
元毎日新聞記者。
来歴= 生い立ち= 1930年(昭和5年)、現在の東京都杉並区阿佐谷南一丁目、杉並区役所のすぐ隣の家で生まれた。
父は日立製作所の技術者。
6歳のときに父が北九州工場に総務課長として転勤となり、福岡県戸畑市に引っ越し、私立小学校である明治学園に通った。
学生時代= 太平洋戦争が始まった翌年、東京府立十九中に入学。
ゲートル巻いて国民服のような制服を着て通った。
三年生から昭島に通い、九七式艦上攻撃機などの海軍の飛行機をつくる会社で組み立て作業をした。
  1949年(昭和24年)に早稲田大学第一文学部独文科に入学。
記者時代= 大学卒業後の1953年(昭和28年)に毎日新聞社に入社した。
政治部記者から始まり、吉田茂の番記者などを経て、政治部副部長、静岡支局長、特別報道部長を歴任する。
1976年(昭和51年)に退社し、フリーランスの政治評論家となる。
政治評論家、コメンテーターとして= 1978年(昭和53年)10月から1985年(昭和60年)3月まで、テレビ朝日『ANNニュースレーダー』の木曜日から土曜日までのキャスターを務める。
その後、同局の『やじうまワイド』や『新・アフタヌーンショー』などにコメンテーターとして出演するようになった。
昭和から平成になってからはテレビ朝日『ビートたけしのTVタック ……

三宅 久之氏(みやけ・ひさゆき=政治評論家)15日午前8時46分、東京都内の病院で病気のため死去、82歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男彰(あきら)氏。 警視庁によると、15日早朝、東京都目黒区の自宅で「トイレに行きたい」と家族に訴えた直後に意識を失った。救急隊が駆け付けたが、既に心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。三宅氏の事務所の話では、10日に退院した後、自宅で静養していた。 三宅氏は早稲田大卒で、元毎日新聞政治部記者。同社退職後に政治評論家となり、テレビ番組などで活躍した。主な著書に「宰相を争う男たち」がある。 

三宅久之さんが亡くなってから、12年と11日が経ちました。(4394日)