梶本隆夫 氏(かじもとたかお)
元プロ野球選手、監督[日本]
2006年 9月23日 死去呼吸不全享年72歳
梶本 隆夫(かじもと たかお、1935年4月8日 - 2006年9月23日)は、岐阜県多治見市出身(山梨県甲府市生まれ)のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
愛称は「梶」あるいは「梶さん」「梶やん」。
弟は元プロ野球選手の梶本靖郎。
兄と同じ阪急ブレーブスの投手としてプレーし、通算3勝2敗の成績を残している。
このうちの1勝は兄弟でリレーした試合であった。
来歴=
プロ入りまで=
実家は岐阜県多治見市の「梶本ミシン商会」。
梶本が中学生の時に父親が亡くなり、母親が女手ひとつで子育て、仕事を切り盛りした。
多治見工業高校では同学年の安藤順三とバッテリーを組み、2年次の1952年には秋季中部大会に進むが、1回戦で浜松北高に惜敗。
翌1953年春の選抜への出場を逸する。
3年次の1953年には夏の甲子園岐阜予選2回戦で郡上高から完全試合(7回コールド)、準々決勝で関一高からノーヒットノーランを記録するなど活躍し、決勝でも岐阜高をノーヒットノーランで降して優勝。
三岐大会に進出するが、決勝で津高に完封負けを喫し、甲子園出場はならなかった。
プロ3球団から入団交渉を受け、阪急ブレーブスが契約金50万、中日ドラゴンズが120万、最後の読売ジャイアンツ(巨人)が200万を提示したが、最も提示額の少ない阪急入りを決めた。
その理由は「高いお金をいただいてダメだったら申し訳ない。
だったら一番安いところに」という母親の考えによるもので ……
梶本隆夫さんが亡くなってから、18年と60日が経ちました。(6635日)