河上彦斎(かわかみげんさい)
熊本藩士[日本]
(諱・玄明、明治4年12月4日没)
1872年 1月13日 死去斬首享年39歳
河上 彦斎(かわかみ げんさい)は、幕末から明治時代初期にかけての尊皇攘夷派の熊本藩士。
諱は玄明(はるあきら)。
幕末の四大人斬りの一人とされる。
明治維新後も攘夷を強固に主張しつづけたため、藩と新政府に危険視され、38歳(満37歳)で斬首された。
また、漫画『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心のモチーフとなった。
インターネット等で拡散している「河上彦斎の写真」は別人(無名)である。
河上彦斎の写真は1枚も確認されていない。
生涯=
肥後細川藩熊本城下の新馬借町(現在の熊本市中央区新町3丁目)で、下級藩士小森貞助とその妻和歌の次男として生まれた。
初め名前は彦次郎であった。
同藩の同じく下級藩士の河上源兵衛(または彦兵衛)の養子となり、名を彦斎と改めた。
16歳で茶坊主として藩主邸の花畑屋敷で召し抱えられ、藩主に近習。
掃除坊主から国老附坊主に出世した。
儒学者轟武兵衛や国学者林桜園に師事し、神風連の太田黒伴雄や加屋霽堅とともに、兵法を宮部鼎蔵に学んで、尊皇攘夷の思想を固めたのもこの頃で、彦斎は特に排外主義的な攘夷論者であった。
文久の頃より、清河八郎等と交わり尊皇攘夷派として活動。
蓄髪して僧籍を脱する。
文久3年(1863年)、熊本藩親兵選抜となり、宮部鼎蔵らと同格の幹部に推された。
容姿は、身の丈5尺前後(150cmほど)と小柄で色白であったため、一見女性の様であったという。
剣は我流で ……
河上彦斎が亡くなってから、152年と313日が経過しました。(55831日)