阪谷朗廬(さかたにろうろ)
漢学者、官吏[日本]
1881年 1月15日 死去享年60歳
阪谷 朗廬(さかたに ろうろ、旧字体:阪谷 朗󠄃廬、1822年12月29日(文政5年11月17日) - 1881年(明治14年)1月15日)は、日本の漢学者、儒学者。
江戸時代末期は教育者として、明治維新後は官吏としても活動した。
東京学士会院議員。
幼名は素三郎、通称として希八郎も用いた。
字は子絢、諱は素(しろし)、朗廬は号である。
阪谷素名義での著作もある。
阪谷芳郎(大蔵大臣、東京市長)の父。
関連作品
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タイトル 阪谷朗廬の世界 (岡山文庫 177)
種別 文庫著者 - 山下五樹
出版社 日本文教出版岡山ページ数 発売日 新品価格 ¥147中古商品 ¥147より
が亡くなってから、143年と99日が経過しました。(52330日)