松山恵子 氏(まつやまけいこ)
演歌歌手[日本]
2006年 5月7日 死去肝臓がん享年70歳
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。
本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。
庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。
裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。
所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。
経歴=
1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。
生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。
中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
1954年、歌手になるため家族全員で上京しようとしたが、東京行きの資金が足りず大阪へ途中下車して、大阪府大阪市淀川区に引っ越す。
大阪エコー音楽学院の研究生となり、日本マーキュリーレコード全国歌謡コンクールで優勝。
彼女の師である大阪エコー音楽学院の西脇稔和の薦めで「雪州音頭」(作詞・小倉武良、作編曲・西脇稔和)を岡崎景子の芸名で日本マーキュリーレコードで初吹き込み、第1号を発売する。
1955年、「宵町ワルツ」「マドロス娘」でデビュー。
1956年に「十九の浮草」が大ヒットし、一気にスターダムにのし上がった。
「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「泣いたって駄目さ」「東 ……
松山恵子さんが亡くなってから、18年と199日が経ちました。(6774日)