原田正純 氏(はらだまさずみ)
医師[日本]
2012年 6月11日 死去急性骨髄性白血病享年79歳
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。
学位は医学博士。
人物=
鹿児島県さつま町出身。
ラ・サール高校、熊本大学医学部卒業。
熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。
水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。
熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。
1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
水俣病の存在はニュースなどにより世界に広まり、これがきっかけとなって各国は水銀の調査を始めた。
成田空港問題の解決を目指した隅谷調査団への参加を打診されたことがあるが、「熊本からでは遠すぎる」として断っている。
1989年、『水俣が映す世界』(日本評論社)で大佛次郎賞を受賞。
2001年、吉川英治文化賞受賞。
2010年、朝日賞受賞。
2011年、KYOTO地球環境の殿堂入り。
2012年6月11日、急性骨髄性白血病のため熊本市内の病院から退院後自宅にて死去。
77歳。
経歴=
1959年、熊本大学医学部卒業
1964年、熊本大学大学院医学研究科神経精神医学修了、精神神経科助手
1964年、9月29日 「水俣地区に集団発生した先天性・外因性精神薄弱 ……
水俣病研究の第一人者で、元熊本学園大教授の医師原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で死去した。77歳だった。鹿児島県出身。葬儀の日程や喪主などは未定。 1962年、胎盤は毒物を通さないという当時の定説を覆し、有機水銀が胎児に重大な障害を与えることを突き止め、「胎児性患者」の存在を明らかにした。以降、「公害の原点」と言われる水俣病の研究を半世紀にわたり続けた。 34年鹿児島県生まれ。64年3月に熊本大大学院医学研究科を卒業し、同大助教授などを経て99年熊本学園大教授。「水俣病」「水俣が映す世界」など著書も多く、大仏次郎賞や吉川英治文化賞などを受賞した。
原田正純さんが亡くなってから、12年と165日が経ちました。(4548日)