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山田恵諦 氏(やまだえたい)

侶・天台宗[日本]

(第253世天台座主)

1994年 2月22日 死去享年98歳

山田 恵諦(やまだ えたい、明治28年(1895年)12月1日 - 平成6年(1994年)2月22日)は、日本の天台宗の僧侶。
第253世天台座主を20年務め、「比叡山宗教サミット」の開催や「一隅を照らす運動」に尽力した。
その行動的な姿から「空飛ぶお座主」といわれた。
経歴= 明治28年(1895年)12月1日、兵庫県揖保郡太子町に生まれる。
母に連れられて寺に参詣した際、修行者の姿に心を惹かれて仏教に憧れたという。
明治37年(1904年)延命寺で出家し、堀恵慶の弟子となる。
この時「恵諦」の法名を賜る。
16歳で比叡山に入り、比叡山中学に入学。
大正9年(1920年)天台宗西部大学卒業、卒業後は天台学の専門研究員となる。
昭和25年(1950年)天台宗教学部長および天台宗勧学院院長、昭和39年(1964年)延暦寺本坊滋賀院門跡を経て、昭和49年(1974年)第253世天台座主に就任。
「一隅を照らす運動」総裁。
座主就任に際して、それまでに就いていた全日本仏教会会長などの役職を全て辞任した。
1985年に仏教伝道文化賞功労賞(第19回)を受賞。
昭和62年(1987年)8月3日、比叡山開創1200年を記念して比叡山宗教サミットを主催。
カトリック教会のフランシス・アリンゼ枢機卿ら、世界の七大宗教の指導者24人が比叡山に集い、世界の平和を祈願した。
平成元年(1989年)第6回庭野平和賞を受賞。
平成6年(1994年)2月22日、最期に「仏様が見える」との言葉を残して、遷化。
98歳没。
エピソード= ……

山田恵諦さんが亡くなってから、30年と277日が経ちました。(11235日)