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渋川春海(しぶかわしゅんかい)

天文暦学者、囲碁棋士、二世・安井算哲[日本]

(正徳5年10月6日没)

1715年 11月1日 死去享年歳

渋川春海 - ウィキペディアより引用

渋川 春海(しぶかわ はるみ、しぶかわ しゅんかい、寛永16年閏11月3日(1639年12月27日) - 正徳5年10月6日(1715年11月1日))は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。
幼名は六蔵、諱は都翁(つつち)、字は春海、順正、通称は助左衛門、号は新蘆、霊社号は土守霊社。
貞享暦の作成者。
姓は安井から保井さらに渋川と改姓した。
生涯 江戸幕府碁方の安井家・一世安井算哲の長子として京都四条室町に生まれた。
慶安5年(1652年)、父の死によって二世安井算哲となるが、当時13歳であったため、安井家は一世算哲の養子・算知が継いで、算哲は保井(後に改字)姓を名乗った。
これより、秋冬は江戸に、春夏は京に住んだ。
そして万治2年(1659年)に21歳で幕府より禄を受け、御城碁に初出仕、本因坊道悦に黒番4目勝ちした。
この後、算知、弟の知哲、算知の弟ともいわれる春知などとともに御城碁に出仕する。
延宝6年(1678年)に本因坊道策が碁所に任じられた際には、これに先の手合、上手並み(七段)とされた。

1639〜1715。 ・幕府碁方;安井算哲の子として京都で生まれた。 ・山崎闇斎に朱子学・神道を学んだ天文学者。 ・当時の「宣明暦」は天の運行とのズレが生じてきていたため、春海は自ら新しい暦法「大和暦」を作成して幕府に改暦を上奏した。 ・これが採用され、「貞享暦」と改称の上、1685年から施行された。 ・中国の授時暦法を基本としながらもその際、日本と中国との経度差を繰り込むことによって誤差を解消し、我が国初の国産の暦法となった。 ・1684年、改暦の功により幕府の初代天文方に就任。 ・著書=『日本長暦』、『天文瓊統』、『天文分野之図』等。 (引用元 Hatena Keyword)

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