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宮本武蔵(みやもとむさし)

剣術家、兵法者[日本]

(正保2年5月19日没)

1645年 6月13日 死去享年歳

宮本武蔵 - ウィキペディアより引用

宮本 武蔵(みやもと むさし、天正12年(1584年)? - 正保2年5月19日(1645年6月13日))は、江戸時代初期の剣術家、兵法家。
二刀を用いる二天一流兵法の開祖。
また、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。
本姓は藤原、名字は宮本、または新免、通称は武蔵、諱は玄信(はるのぶ)である。
幼名は辨助(べんのすけ)、号は二天、また二天道楽。
著書『五輪書』の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗っている。
武蔵の自筆とされる有馬直純宛書状・長岡佐渡守宛書状には「宮本武蔵玄信」と記し、長岡佐渡守宛書状には「二天」の号も書いている。
熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、養子伊織が武蔵の死後9年目に建てた『新免武蔵玄信二天居士碑』 には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」とある。
武蔵死後71年目の『本朝武芸小伝』(1716年)で「政名」なる名が紹介された。
これを引用した系図や伝記、武蔵供養塔が広く紹介されたことから諱を「政名」とする武蔵の小説や紹介書が多数あるが、二天一流門弟や小倉宮本家の史料にこの「政名」は用いられていない。

みやもとむさし [生]天正12(1584).播磨/美作[没]正保2(1645).5.19.肥後江戸時代初期の剣客,画家。出自については確説がなく,新免無二斎の養子または子。母の家を継ぎ,宮本武蔵義恒または玄信(政名?)と名のった。号は二天。若年より諸国をめぐって武者修行に励み,二刀流を案出して二天一流剣法の祖となった。佐々木小次郎との試合をはじめ生涯60回あまりの勝負に一度も負けたことがないと伝えられ,晩年は肥後藩主細川忠利に仕えた。自著『五輪書』は武道の奥義を記した兵法書として有名。余技として絵筆をとり,十数点の水墨画の遺品がある。禽鳥類の描写を得意とし,その筆法は宋元画の減筆体を根底にして剣客らしい覇気に満ちている。絵のほか書にも優れたものがある。主要作品『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』(久保惣記念美術館),『鵜図』(永青文庫),『布袋観闘鶏図(ほていとうけいをみるのず)』。 宮本武蔵みやもとむさし 吉川英治の長編時代小説。1935~39年,『朝日新聞』連載。さまざまな試練を経て剣禅一如の哲人に成長していく宮本武蔵を描いて,多くの読者を集め日本の国民文学という評価を得ている。 (引用元 コトバンク)