芸能人・経営者のおくやみ情報

藤原俊成

公家歌人[日本]

(元久元年11月30日没)

(ユリウス暦) 1204年 12月22日 死去享年歳

藤原俊成 - ウィキペディアより引用

藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。
藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。
はじめ葉室家に養子に入り藤原(葉室) 顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り改名した。
法名は釈阿。
最終官位は正三位・皇太后宮大夫。
『千載和歌集』の編者として知られる。
生涯 早くから歌人としての活動を始め、藤原基俊に師事する。
佐藤義清(西行)の出家に影響され、自身も一時その願望を持つ事となったが、平安末期の無常観を反映しつつ、『万葉集』『古今和歌集』の伝統を踏まえた抒情性の豊かな歌風を確立し、当世風の新奇性を重視した六条流の歌風と当時の歌壇を二分した。
和歌所寄人をつとめ、後白河院の院宣で単独で『千載和歌集』を編んだ。
歌学書には『古来風躰抄』(後白河院の皇女である式子内親王に奉ったもの)のほか、『俊成卿和字奏状』『古今問答』。
選歌集に『俊成三十六人歌合』。
家集に『長秋詠藻』『俊成家集』があり、『長秋詠藻』は六家集の一つに数えられる。

  • 題名
    美しき日本の面影
    歌手
    発売元
    フォア・レコード
    発売日
    2006年9月13日
    新品価格
    ¥ 2,677 より
    中古商品
    ¥ 9 より

平安後期・鎌倉初期の歌人・公卿。藤原定家の父。初名顕広。正三位に進んだのち俊成と改名。病のため出家し、釈阿と号す。数多くの歌合の判者を務めた他、後白河院の命により『千載集』を撰進し、後鳥羽院の再興した和歌所の寄人にも加えられ、歌壇の長老の地位を築いた。家集に『長秋詠藻』『俊成家集』、歌論書に『古来風体抄』等がある。元久元年(1204)歿、91才。 (引用元 コトバンク)