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安田善次郎

安田財閥 創始者[日本]

1921年 9月28日 死去刺殺享年84歳

安田善次郎 - ウィキペディアより引用

安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、天保9年10月9日〈1838年11月25日〉 - 大正10年〈1921年〉9月28日)は、富山県富山市出身の実業家。
幼名は岩次郎。
安田財閥の祖。
生涯 富山藩下級武士(足軽)の安田善悦の子としてうまれる。
安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。
1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。
最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。
やがて安田銀行(後の富士銀行。
現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した。
1870年代には北海道で最初の私鉄である釧路鉄道(本社 安田銀行本店)を敷設し硫黄鉱山開発、硫黄の輸送や加工のための蒸気機関の燃料調達を目的に釧路炭田(後の太平洋興発の前身)を開発した。
北米への硫黄輸出のためにそれまで小さな漁港に過ぎなかった釧路港を特別輸出港に指定させた。
現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、魚場集落だった釧路は道東最大の都市へと急激に発展した。

やすだぜんじろう [生]天保9(1838).10.9.富山[没]1921.9.28.神奈川,大磯実業家。安田財閥の創設者。生家は最下級武士。安政5(1858)年江戸へ出て玩具商,海産物・両替商,唐物商に奉公。文久3(63)年独立し日本橋小舟町で露店銭両替商を開業,翌年には日本橋乗物町に両替屋兼小売商を開業し屋号を安田屋(66年安田商店と改称)と称した。その後世情不安のなかで幕府依頼の古金銀の買集めで利を得,次いで明治維新後も太政官札を買集めて巨利を得た。1874年以後は司法省ほか諸官庁の公金取扱い御用を引受けることとなり,金融業者として急成長した。76年第三国立銀行開業の認可を受け,さらに80年安田商店を安田銀行として発足させ,97年には銀行5行,保険会社3社,ほかに事業会社4社を手中に収めるにいたった。また82年日本銀行設立にも参画して理事に就任し銀行家としての基盤を確立,1904年には第百三十銀行を援助し,国家財政の危機を救うなど手腕をふるった。晩年には日比谷公会堂,東京大学講堂を寄付するなど社会事業に尽力したが,大磯の別荘で国粋主義者朝日平吾に刺殺された。 (引用元 コトバンク)

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