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源雅定

公卿、歌人[日本]

(応保2年5月27日没)

(ユリウス暦) 1162年 7月11日 死去享年歳

源 雅定(みなもと の まささだ)は平安時代後期の公卿、歌人。
中院右大臣と号す。
右大臣、正二位、左近衛大将。
 源雅実の次男。
素直でよく気が付き、堅苦しい所もなく魅力的な性格であった。
また、学才もあり、朝廷の儀式にも通じていたとされる。
幼時より舞楽に長じ、康和3年(1101年)3月9日の白河院50歳の賀の試楽における童舞で、9歳にして『胡飲酒』を舞い、賞賛された。
父・雅実は雅定の舞の技能に自信を持っていたためか、嘉承元年(1106年)に開催された石清水臨時祭における一の舞に雅定が選ばれなかったことに腹を立て、途中で帰京してしまったとの逸話がある。
また、『胡飲酒』を伝える楽家の多資忠が山村政連に殺害された際、『胡飲酒』を伝受していた雅実が資忠の子の忠方に伝えた逸話があるが、雅実が死去してからは、忠方は雅定を師としていたとされる。
豊原時元から伝授を受けた笙にも秀で、嘉応2年(1170年)までに開催された御遊において、各種記録に記された笙の演奏回数が2位の藤原宗忠を大きく引き離して最多となっている。

みなもとの-まささだ 1094-1162平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。嘉保(かほう)元年生まれ。源雅実(まさざね)の次男。元永2年(1119)参議。のち正二位,右大臣。中院入道右大臣とよばれる。淳和(じゅんな)・奨学両院別当に任じられ,以後子孫がその職をついだ。笙(しょう)と胡飲酒(こんじゅ)の舞の名手。「金葉和歌集」以下の勅撰集に19首はいる。応保2年5月27日死去。69歳。 (引用元 コトバンク)

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