グレース・ケリー 氏Grace Patricia Kelly
女優、モナコ大公レーニエ3世の妃[アメリカ→モナコ]
1982年 9月14日 死去交通事故享年54歳
グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日 - 1982年9月14日)は、モナコ公国の公妃。
元アメリカ合衆国の女優。
同時代に活躍した女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちた容姿が「クール・ビューティー」 (cool beauty) と賛美された。
人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し、女優業から引退した。
生涯=
生い立ち=
1929年、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの裕福な家に生まれた。
父ジョン・ブレンダン・ケリー(John B. Kelly, Sr.)はスラム育ちの煉瓦職人であったが、上流階級の競技であるボート競技で頭角を現し、ボート関係者の嫌がらせにもめげず、オリンピックボート競技において1920年のアントワープオリンピックで2個の金メダルを獲得し一躍国民的英雄になった。
そして1924年のパリオリンピックでも金メダルを1個獲得した。
その後、彼は煉瓦製造会社を立ち上げ億万長者になった。
母マーガレット(1898年 - 1990年)はドイツ系で元モデルであり大学講師だった。
父方の叔父はピューリッツァー賞を受賞した劇作家のジョージ・ケリー。
兄は1956年のメルボルンオリンピックのオリンピックボート競技で銅メダルを獲得したジョン・ブレンダン・ケリー・ジュニア(1927年 - 1985年)。
少女時代はおとなしく、人前に姿を現すのが苦手な赤い頬の子供で、3人姉妹の中でも真ん中のグレー ……
グレース・ケリーが亡くなってから、42年と73日が経過しました。(15414日)