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鈴木茂三郎(すずきもさぶろう)

政治家、第2代日本社会党委員長[日本]

1970年 5月7日 死去享年77歳

鈴木茂三郎 - ウィキペディアより引用

鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年〈明治26年〉2月7日 - 1970年〈昭和45年〉5月7日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。
衆議院議員(9期)、第2代日本社会党委員長。
来歴= 生い立ち= 愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身。
旗本・竹本家代官の分家の子孫で、現在の蒲郡駅南付近で、人力車夫の家に生まれる。
1907年に蒲郡南部尋常高等小学校(現・蒲郡市立蒲郡南部小学校)を卒業し、蒲郡北部小学校の代用教員をしていたが、1912年、東京麹町の人力車製造工場などで働きながら、苦学生活に入る。
父母を困窮から救うため、車引きや新聞配達などの通学に支障のない仕事をしながら、旧制海城中学を経て早稲田大学政治経済学部を卒業するまでに、8年を費やした。
大学卒業後は、ジャーナリストとなり、『報知新聞』・『大正日日新聞』・『東京日日新聞』(現・『毎日新聞』)などの記者となり、主に経済部に所属して、経済ジャーナリストとして知られた。
1918年に特派員としてシベリアにわたるが、その際、シベリア出兵を企てる軍部の陰謀を目の当たりにしたことで、軍部に対する不信を強め、以後、一貫して戦争反対を主張していくことになる。
その後も度々、特派員としてソ連を訪れてソ連の社会主義を目の当たりにしたことと幼少期に極貧生活を実体験したことから、次第に社会主義思想を身に着けるようになった。
また、東京日日新聞記者時代には雑誌『労農』の同人となり、 ……

鈴木茂三郎が亡くなってから、54年と203日が経過しました。(19927日)

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