宋慶齢 氏
孫文の妻[中国]
1981年 5月29日 死去享年88歳
宋 慶齢(そう けいれい、簡体字:宋 庆龄、繁体字:宋 慶齡、英語:Soong Ching-ling、発音:ソン・チンリン、1893年1月27日〈光緒18年12月初10日〉 - 1981年5月29日)は、中華民国・中華人民共和国の政治家。
孫文の妻。
中華人民共和国副主席を務め、死の直前に「中華人民共和国名誉主席」の称号を授けられた。
姉の宋靄齢、妹で蔣介石夫人の宋美齢と共に総称される「宋氏(家)三姉妹」の一人である。
また、弟に中華民国の政治家・実業家の宋子文がいる。
誕生=
宋家三姉妹
1893年1月27日に客家の宋嘉澍(チャーリー宋)と倪桂珍の次女として江蘇省松江府上海県(現:上海市)で誕生する。
上海中西女塾高中を卒業後、1907年に14歳でアメリカに留学し、ジョージア州のウェスレイアン大学に留学して文学学士号を取得し、1913年に帰国している。
1914年からは父親が支援していた孫文の英文秘書を務めていた。
孫文とは1915年10月25日に東京で結婚している。
結婚に際しては孫文が宋慶齡より26歳年長である点や、前妻の盧慕貞との間に宋慶齢より年長の子(孫科)をもうけていたことより反対されたが、宋美齢の賛成を受け自宅のあった上海から日本に向かい、孫文の離婚が成立した後に結婚したとされる。
中華民国時代=
孫文との婚姻後は孫文の活動を支え、1922年には陳炯明による六・一六事変に遭遇し、その際に流産を経験している。
孫文逝去の後は1926年1月に中国国民党中央執行委員に就任してい ……
宋慶齢が亡くなってから、43年と177日が経過しました。(15883日)