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大平正芳 氏(おおひらまさよし)

政治家、内閣総理大臣[日本]

1980年 6月12日 死去心筋梗塞享年71歳

大平正芳 - ウィキペディアより引用

大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 - 1980年(昭和55年)6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。
位階は正二位。
勲等は大勲位。
衆議院議員(11期)、内閣官房長官(第21・22代)、外務大臣(第92・93・100・101代)、通商産業大臣(第31代)、大蔵大臣(第79・80代)、内閣総理大臣(第68・69代)などを歴任した。
来歴・人物 生い立ち 香川県三豊郡和田村(現観音寺市)の農家・大平利吉と妻・サクの三男として生まれる。
兄2人、姉3人、弟妹がそれぞれ1人ずつの8人兄弟だったが、大平が生まれた時長女は満1歳で、兄の1人も2歳半で既に亡くなっていた。
父の利吉は学歴こそ無かったものの村会議員や水利組合の総代を務めていた。
また利吉は書をたしなみ,和漢の古典にもよく通じた読書家で、大平の読書好きや漢籍への造詣も父の影響を強く受けている。
大平は「讃岐の貧農の倅」と称したが生家は中流に属していた。
それでも子供6人を抱えた大平家の生活は苦しいもので、大平も幼い頃から内職を手伝ってして家計を支えていた。

おおひらまさよし [生]1910.3.12.香川,豊浜[没]1980.6.12.東京,世田谷政治家。1936年,東京商科大学を卒業,大蔵省に入省。1949年,池田勇人大蔵大臣秘書官となり,1952年衆議院議員に当選。以来連続11回当選。宮沢喜一,黒金泰美とともに,池田勇人の「秘書官グループ」と呼ばれ,1960年池田内閣の官房長官となった。「寛容と忍耐」「所得倍増」の池田政治を演出,岸信介強権政治から池田柔軟路線への転換を果たした。1962年外務大臣。佐藤栄作内閣で党政務調査会会長,通産大臣を歴任。1972年佐藤退陣後の総裁選挙に田中角栄,福田赳夫,大平,三木武夫の4人が出馬,福田と田中の決選投票となり,田中を支持。田中内閣の外相に就任,日中国交回復を実現した(日中共同声明)。1974年蔵相となり,三木内閣でも引き続き蔵相を務めた。1976年秋,福田と連携して三木を退陣に追い込み,同12月福田内閣の党幹事長に就任。1978年11月の自由民主党の総裁選挙で現職の福田を破って第9代総裁となり,同12月第68代内閣総理大臣の座についた。1979年9月衆議院を解散したが,翌10月の衆議院選挙で安定多数獲得に失敗。党内反主流派から引責退陣を迫られたが応ぜず,第2次大平内閣を発足させた。1980年5月,内閣不信任案可決で再び衆議院を解散して衆参同日選挙となったが,そのさなかに心臓病で急死した。 (引用元 コトバンク)