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三木武夫 氏(みきたけお)

政治家、内閣総理大臣[日本]

1988年 11月14日 死去急性心不全享年82歳

三木武夫 - ウィキペディアより引用

三木 武夫(みき たけお、1907年〈明治40年〉3月17日 - 1988年〈昭和63年〉11月14日)は、日本の政治家。
概説= 1907年(明治40年)3月17日、徳島県板野郡御所村(土成町を経て、現在は阿波市)に農商人の家の長男として誕生。
明治大学法学部在学中に遊学し、英米自由主義社会を肌で体感、また独伊ソなどの全体主義国家への反感も身を以って実感する。
明大卒業直後の第20回衆議院議員総選挙に無所属で出馬して当選し没するまで51年間連続議員在任した。
帝国議会では日米対立の緩和に奔走し、翼賛選挙も翼賛政治体制協議会の非推薦候補として戦う。
戦後は保守系政党を渡り歩き、党幹部或は大臣を数多く歴任、保守合同後の自由民主党でも自前の派閥を持ち、有力政治家の一人として認知される。
一貫して派閥の寄せ集め状態の自民党の体質からの脱却、党の近代化を訴え、時の政権、党執行部とも衝突を繰り返した。
1974年、田中角栄の金権政治が暴露され田中が失脚すると、三木の「クリーンさ」が田中と対照的で有権者受けするとみなされ、椎名裁定によって首相に擁立される。
周囲は田中の「金権」イメージ一掃のための中継ぎの予定であったが、三木は政治改革を行おうとして田中やその後継の大平正芳らと対立、自民党は分裂・下野寸前に陥る。
結局、第34回衆議院議員総選挙で自民党は過半数割れの惨敗を喫す。
三木は保革伯仲国会を招いた責任をとって在任2年で退陣、自民党は70年 ……

三木武夫さんが亡くなってから、36年と9日が経ちました。(13158日)

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