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北条時政(ほうじょうときまさ)

武将、鎌倉幕府初代執権[日本]

(建保3年1月6日没)

(ユリウス暦) 1215年 2月6日 死去腫瘍享年78歳

北条時政 - ウィキペディアより引用

北条 時政(ほうじょう ときまさ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
伊豆国の在地豪族の北条時方(もしくは時兼)の子。
源頼朝の正室・北条政子の父。
鎌倉幕府の初代執権。
家系は桓武平氏平直方流を称する北条氏であるが、直方流は仮冒で伊豆国の土豪出身という説もある。
家系 北条氏は桓武平氏高望流の平直方の子孫と称し、伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)を拠点とした在地豪族である。
時政以前の系譜は系図により全て異なるため、桓武平氏の流れであることを疑問視ならびに否定視する研究者も少なくない。
ただし祖父が北条時家、父が時方(または時兼)という点は諸系図でほぼ一致しており、時家の『尊卑分脈』傍注には「伊豆介」とある。
上横手雅敬は、土着したのはそう古い年代ではなく、幕府内での世渡りの良さに鑑みるに、京都と極めて密接な関係にあったのではないかと推測している。
『吾妻鏡』は40歳を越えた時政に「介」や都の官位等を付けず、ただ「北条四郎」「当国の豪傑」とのみ記している。
保有武力に関しても石橋山の戦いの頼朝軍の構成を見る限り突出した戦力を有していたとは言いがたく、時政は北条氏の当主ではなく傍流であり、国衙在庁から排除されていたのではないかとする見解がある。

ほうじょうときまさ [生]保延4(1138).伊豆[没]建保3(1215).1.6.伊豆鎌倉幕府の初代執権(在職1203~05)。通称は四郎。法名は明盛。父は時方。母は伊豆掾伴為房の娘。伊豆国北条(現在の静岡県田方郡)の出身。娘政子は源頼朝の妻。治承4(1180)年8月頼朝挙兵の最初から頼朝に従って功をあげた。同月の相模国石橋山の敗戦では逃走の途中で子宗時を殺されたが,次子義時とともに海路安房国に逃れて頼朝の到着を迎えた。文治1(85)年義経追捕のため上洛,その際朝廷に強要して守護,地頭設置の許可を得た。正治2(1200)年4月従五位下,遠江守。建仁3(03)年9月比企能員を殺して2代将軍頼家を廃し,その弟実朝を将軍とし,みずからは執権となった。元久2(05)年閏7月女婿平賀朝雅を将軍に擁立しようとしたが失敗し,落飾して伊豆北条に退隠。 (引用元 コトバンク)