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源頼朝(みなもとのよりとも)

鎌倉幕府初代将軍[日本]

(建久10年1月13日没)

(ユリウス暦) 1199年 2月9日 死去享年53歳

源頼朝 - ウィキペディアより引用

源 頼朝(みなもと の よりとも)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。
河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。
伊豆で以仁王の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。
弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。
建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれ、後に鎌倉幕府とよばれた。
頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。
生涯 文中の月日は全て旧暦 改元の有った年は改元後の元号を記す 内容の典拠については年表を参照。
出生 久安3年(1147年)4月8日、源義朝の三男として尾張国熱田(現在の名古屋市熱田区)の熱田神宮西側にあった神宮大宮司・藤原季範の別邸(現誓願寺)にて生まれる。

みなもとのよりとも [生]久安3(1147)[没]建久10(1199).1.13.鎌倉鎌倉幕府初代将軍(在職1192~99)。武家政治の創始者。義朝の3男。母は熱田大宮司季範の娘。妻は北条時政の娘政子。平治1(59)年の平治の乱に敗れて伊豆に流されたが,治承4(80)年以仁王(もちひとおう)の命を受けて平氏追討の兵をあげた。東国武士の糾合に成功して東国に支配権を確立,鎌倉を本拠とし,次いで源義仲および平氏を滅ぼして天下を平定した。文治1(85)年守護・地頭設置の勅許を得て武家政治の基礎を固め,建久1(90)年上京して権大納言,右近衛大将に任じられ,翌々年征夷大将軍を拝して名実ともに武家政権としての幕府を開いた。落馬が原因で死去。 (引用元 コトバンク)