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ピウス9世Pius IX

ローマ教皇[イタリア]

1878年 2月7日 死去享年87歳

ピウス9世 - ウィキペディアより引用

『ピウス9世 (ローマ教皇)』より : ピウス9世(Pius IX、1792年5月13日 - 1878年2月7日)は、カトリック教会の司祭、第255代ローマ教皇(在位:1846年6月16日 - 1878年2月7日)。
本名はジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェレッティ(Giovanni Maria Mastai-Ferretti)。
31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を持ち、イタリア統一運動の中で、古代以来の教皇領を失い、第1バチカン公会議を召集し、『誤謬表』を発表して近代社会との決別を宣言。
また、聖母マリアの無原罪の御宿りの教義を正式に制定した。
カトリック教会の福者。
ピオ9世と表記されることもある。
生涯 教皇へ 18世紀の終わり、1792年に教皇領のセニガッリアで貴族の家に生まれたジョヴァンニ・フェレッティは神学校で学び、1819年に叙階された。
ローマやチリで働き、スポレートの大司教に任命された後、1840年に枢機卿に選ばれた。
グレゴリウス16世の死去を受けて行われたコンクラーヴェは保守派と改革派の激しいせめぎあいとなったが、紆余曲折を経て選ばれたのは改革派とみられていたフェレッティであり、ピウス9世を名乗った。

ピウスきゅうせいPiusIX [生]1792.5.13.セニガリア[没]1878.2.7.ローマ史上最長の在位(1846~78)を記録した教皇。本名GiovanniMariaMastai-Ferretti。1827年スポレト大司教,32年イモラ司教,40年枢機卿。教皇登位後ただちに改革を断行。48年二院制の憲法を制定したが,革命の嵐は教皇領をも席捲し,ナポリ王国へ逃れ,49年ローマ共和国が成立。50年ローマに帰還。専制体制を保って,リソルジメント(イタリア統一運動)と対立しつつ,50年代を通じてカトリック諸国と政教条約を結んで関係の強化に努めた。60年ピエモンテとの戦いに破れ,教皇領はペテロ世襲領のみとなった。70年バチカン市国が成立。教義上では,64年大勅書Quantacuraに当時の80の神学説を退ける謬説表を付した。69年第1バチカン公会議を開いて教皇不謬性を明文化し,54年聖母マリア無原罪の御やどりを教理とした。 (引用元 コトバンク)